第21回
堀江 達夫さん (1963年入学) 寄稿
岡目八目は、2015年1月、2年目を迎えた。2年目に最初に登場したのは、桂井洋介さん。
改編された英友会の最初から役員を務めている。桂井さんには書いてもらいたいテーマ2つから選んでもらったが、ライフワークとおっしゃる相続の問題をとりあげていただいた。… →続きはこちら
第20回
岡目八目の執筆者1・・忘れ得ぬ人々(2014年2月-12月)
堀江 達夫さん (1963年入学) 寄稿
岡目八目は、2014年2月ホームページ改編と共に開始した。前のホームページから、新しいプラットホームを構築するのに時間がかかったが、誰でも簡単に内容を変えられるようにする事が出来た。しかし、改編した後、問題なく運営できるか試運転し、… →続きはこちら
第19回
岩瀬 健志さん (1980年入学) 寄稿
私は大学卒業後、ある電機機器メーカーに就職したが、入社して最初に担当した仕事はレーザーディスク・プレーヤーの開発だった。LD-7000という世界初の半導体レーザーを使ったレーザーディスク・プレーヤーを世に出したばかりの頃で、… →続きはこちら
第18回
桐谷 孝さん(1992年入学)寄稿
私は大学を卒業後、カトリックの洗礼を受けてキリスト教徒となりました。32歳の時でした。受洗したカトリック習志野教会は、名簿上は2000人の信徒がおりますが、日曜日のミサに与る人はおよそ400人といったところでしょうか。… →続きはこちら
第17回
冨澤 美貴さん(1983年入学)寄稿
IT業界では、かつて(1990年代の西海岸のシリコンバレー全盛期)ほど影響は大きくありませんが、今なおMicrosoft、Apple、Googleなどの米国企業が中心です。技術標準も英語で定められ、… →続きはこちら
第16回
山本 利枝さん(1967年入学)寄稿
昭和46年に千葉大学教育学部を卒業し、足立区で小学校の教員としてスタートしました。
卒業式より、早い3月14日に結婚し足立区在住になりました。それから37年間60歳退職まで、常に子どもたちは私に、… →続きはこちら
第15回
安酸 史子さん(1981年入学)寄稿
私の履歴と看護教育制度の変遷を重ね合わせながら、思いつくままに語りたいと思う。
私は千葉大学看護学部の7期生で卒業したのが昭和60年であるが、既に看護師として勤務したのちに看護学部に入学したため、… →続きはこちら
第14回
穐田 照子さん(1966年入学)寄稿
1970年、日本中が大阪万博で沸き立っていた年に卒業しました。卒業後はアメリカの大学に留学し、心理学を学びたいと思っていました。しかし、当時の日本では、心理学を専攻しても欧米のようにクリニックを開いて自立するなどということは全く考えられず、… →続きはこちら
第13回
山口 泰子さん(1959年入学)寄稿
1960年代。まだアメリカはバラ色で、工業化と大量生産による豊かな消費文明を謳歌し、日本は必死にその後を追っていた。
1971年。私は採用第1号なら先輩に頭を押さえられずにすむというノーテンキで選んだ会社、… →続きはこちら
第12回
桂井 洋介さん(1982年入学)寄稿
私は不動産関係の会社を経営しており、特に相続関係の諸問題にライフワークとして取り組んでいます。
今回は、昨今の相続に関する話題について、ご紹介したいと思います。→続きはこちら
第11回
松井 孝雄さん(1963年入学)寄稿
今から14年前、有志4人が集まり日本の技術を根底から支える一つであるコンバーティング技術(フィルムに塗ったり(反射防止フィルム)、重ね合わせたり(レトルト製品の袋)、貼り合わせたり(粘着テープ)などの技術の総称)において、… →続きはこちら
第10回
佐藤 昌男さん(1960年入学)寄稿
私は1964年3月に千葉大文理学部経済学科を卒業し商社に入った。その結果はサラリーマン生活43年のうち22年以上を海外で仕事をする商社マンとなった。
特に「タイ」は2度駐在した思い出深い国である。… →続きはこちら
第9回
上原 宣紘さん(1959年入学)寄稿
「ええっ、本当にこれが甲州のワイン?」 ドイツから来日したショーンレーバー氏の「ラインガウ甲州2005」(白ワイン)を試飲して私は驚愕しました。ほのかな香りあり、完熟からくる濃厚なコク、ボディがあり、それでいて… →続きはこちら
第8回
松井 尚子さん(1964年入学)寄稿
<天野先生の言葉>
子どもはどのように話し言葉を習得するのか? 話し言葉が習得しにくい状況とは? 今も謎だらけですが、これらの自問が音声学から方向を転換する契機でした。… →続きはこちら
第7回
大里 英夫さん(1959年入学)寄稿
以前勤めていた会社で欧米メーカーの(電子・光学機器)製品のカタログや使用説明書などの翻訳(和訳)を私がやるようになったのはいまから36、7年くらい前(6年間のアメリカ駐在から戻った1977年ころ)。それまで翻訳業者に外注していたが、… →続きはこちら
第6回
上原 圭介さん(1981年入学)寄稿
この春、ひとつの列車がその歴史に幕を閉じました。上野と秋田・青森を繋いだ寝台特急「あけぼの」です。鉄道に特段関心のない方でも、TVのニュースなどで鉄道路線の廃線や列車の引退に多くのフアンが集う光景を目にされたことがあるでしょう。
業界?用語で、… →続きはこちら
第5回
角沢 常明さん(1969年入学)寄稿
第4回
大滝 長孝さん(1962年入学)寄稿
定年後、ふと、落語を自分でも演じてみたい気になり、新宿の芸能花伝舎(落語スクール)に二年ほど通いました。プロの真打に直接、指導を受ける事ができました。最初は2,3度通ったらすぐ、挫折するのではと思っていましたが、… →続きはこちら
第3回
高橋 洋司さん(1964年入学)寄稿
「Drifter 552, On base leg, Landing, Runway 28」(ドリフタ―552号機、第4旋回手前、滑走路28に着陸します)と後部席の私がピットに無線を入れると、前席の訓練生はエンジンパワーを少ししぼりながら最終侵入に機体を旋回させます。… →続きはこちら
第2回
斎藤 収さん(1958年入学)寄稿
「OTQ-1」それは昭和42年建造の南極観測船「ふじ」に搭載された全電子式艦内電話交換機の型式名だ。当時、小型交換機(内線電話機50機)でも全てトランジスタなど半導体回路網で作ることは1,2例がある位であった。… →続きはこちら
第1回
上原 朗さん(1958年入学)寄稿
依頼された「テーマ」は、「痴呆(認知症)を吹きとばす 壮年からの健康術」であるが、以下、私が実行している「ボケない」ための四つのことを強調して責を果たしたい… →続きはこちら