タイ・思い出の駐在地

佐藤昌男 1960年入学

 

私は19643月に千葉大文理学部経済学科を卒業し商社に入った。その結果はサラリーマン生活43年のうち22年以上を海外で仕事をする商社マンとなった。

特に「タイ」は2度駐在した思い出深い国である。最初は1972~77年の5年間を過ごした。まだのどかな農業国家だったが、前半はベトナム戦争に参加していた米兵が市内の繁華街をうろついている時代だった。但しこの時期は長年続いた軍事政権が市民運動によって倒されるという「革命」まがいの騒ぎもあり、夜間外出禁止令、戒厳令などが出て、軍事政権と学生・市民の民主化運動が激突した時代で治安も悪く、危ない場面にも遭遇した。

2度目のタイ駐在は1995年~2000年の5年間で、すでにタイ湾でガス田も開発され、各地に工場地帯が出現し、未曾有の投資ブームだった。バンコック市内は高層ビル(ビジネスビル・マンション)ブームに沸き、巨大なショッピングモールが出来ていた。高速道路が市内および地方を結び、1970年代駐在時代はのんびりした海辺のリゾートが大工場地帯に変貌していた。私はそのタイ南東部の工場地帯に進出した合弁会社に出向していた。

先の駐在時代に経験したとはいえ、製造設備の輸入、工場建設と人員の採用と日本での研修手配・引率等で目の回る忙しさだった。一方、タイのIT化も進んだ時代であり、通信事業で大成功し、その後政界入りした、のちに首相となるタクシン氏が政治活動を活発化させるのもこの時期である。タイの場合、政治腐敗が露呈するとたちまち政治不信が喧伝され、それを正すために軍部が政治介入するパターンが繰り返し発生している。今なおクーデター騒ぎを繰り返しているのを見聞きすると、民主化がいかに難しいかがわかる。

この時期、印象に残ったことはいろいろあるが、その中の一つを紹介したい。

それはY2K問題である。記憶している人も多いと思うが、1999123124時以降にコンピューターが誤作動するというもので、半年前から準備を始め、1231日は全員泊まりがけで、工場のコントロールルームで調整が終わった計器類を眺め操業状態をチェックしていた。1231日から11日にかけては何ら問題が起きなかったことを確認し、更に1時間ほど様子を見てから本社工場に「異常なし」のFAXを入れたが、その日付が「190011日」と印字されたことにビックリした。これが唯一のマイコン誤作動だったことに関係者は大笑いしつつ安堵したのである。

 

プロフィール 

氏名:佐藤昌男(さとうまさお)

入学年・学部:1960年入学 文理学部経済学科

卒業後 日商(後に日商岩井)入社

商社マンとして世界各地に赴任

第2代英友会会長

名前はペンネームでも構いません。

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