角沢 常明 1969年入学
1969年7月、アポロ11号が月に着陸し人類は初めて月面に立った。この様子はテレビ中継され世界中が興奮した。私が千葉大学写真工学科へ入学した年のことである。この着陸に先立つ1966年から1967年の間、着陸地点選定のための月面地図作成を目的として無人月探査機ルナ・オービターが5回打ち上げられている。ルナ・オービターによる月面撮影には銀塩フィルムが用いられた。撮影したフィルムを軌道上で自動現像した後、写真画像をスキャンしながらそのアナログ信号を地球に送信するという方式である。高精細画像とは銀塩写真をおいて他になかった。
そして、大学院を含め6年間馴染んだ西千葉を離れ光学機器メーカーの技術屋として社会に出た1975年頃は、現在のデジタル写真を支える技術群がようやく世に出始めた時期であった。
世はデジタル化に向けて走り出す時代である。写真工学を専攻してメーカーに職を求めた私だが、TTLやCMOS等のロジックIC、マイコンチップを組み合わせて回路設計を行う、メーカー内での職種的には電気屋さんに分類される仕事に割り振られた。ロジックICの集積度の増加やマイコンチップの性能向上のスピードはまさに秒進分歩であった。 そのような折り1984年に1年間東京大学の精密機械工学科舟久保研究室に企業派遣研究生という名目で出入りした。その時同じようにこの研究室に出向してきていた中堅の技術者・研究者連中と自発的にUNIX/C言語について輪講したことなどもあって、会社に戻ってからは制御用ソフトウエアの開発環境についての研究開発に従事するようになった。
振り返れば、1990年前後日本はバブル絶頂の時代であるが、技術的にはコンピュータとネットワークを融合する所謂ITの勃興期に当たり、画像処理アルゴリズムの実用化やネットワーク環境の進展は疾風怒濤の時代である。それでも当時のデジタル信号処理の規模、速度では音声データ程度(CDで2x2byte階調44KHz サンプリングレート。音楽CDは1982発売開始)なら扱えても、画像データ(35mmカラーフィルムで3x6Mbyte、HDTVで約3x2Mbyte 60Hzサンプリング)をポケットに入る程度の大きさの機器で処理できる時代が10年後に迫っているのだとは思わなかった。
名前はペンネームでも構いません。
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