映像機器の開発 - レーザーディスクとDVD

岩瀬 健志 1980年入学

 

私は大学卒業後、ある電機機器メーカーに就職したが、入社して最初に担当した仕事はレーザーディスク・プレーヤーの開発だった。LD-7000という世界初の半導体レーザーを使ったレーザーディスク・プレーヤーを世に出したばかりの頃で、その後、毎年毎年新しい機能を持った新機種を世の中に送り出すという流れの中で仕事をしていた。

 

レーザーディスクはプレーヤーもソフトも一般的に価格が高く、どちらかというと一部のマニア向けだったように思う。レーザーディスクといえば、多くの人はレーザーカラオケのことを思い出すだろう。1980年代後半から1990年代前半はレーザーカラオケの全盛期で、カラオケボックスでレーザーカラオケのオートチェンジャー(自動ディスク交換機)を見た記憶がある人も多いと思う。全盛期を謳歌したそのレーザーカラオケも、その後通信カラオケに取って代わられ、世の中から姿を消す運命となる。

 

カラオケのみならず、レーザーディスク(LD)そのものもDVDに取って代わられことになる。私もDVDプレーヤーの最初の機種の開発に携わった。世界初のDVDプレーヤーを開発しようと、いそがしいながらも、やりがいのある時だった。日本の電機メーカー各社がDVDプレーヤー1号機の発売を競った。結果として1号機の発売は他社が先行したものの、わが社はDVD/LDコンパチブルプレーヤーの1号機を発売した。1996年の秋であった。LDは映像信号をアナログで記録していたが、DVDは映像信号をデジタルで記録しているため、映画1本をCDと同じ12cmのディスクに収めることが出来た(LD30cmディスクで片面60分、2時間を越える映画は2枚組)。DVDプレーヤーは開発当初は価格が高かったが、その後低価格のプレーヤーが発売されるようになり、ソフトも多く発売されるようになり、マニアだけではなく一般層にも普及した。来年でDVDが発売されて20年となるが、その後ブルーレイという記録容量のより大きいメディアが登場したものの、映像ソフトとしてのDVDのシェアはまだまだ高く、初期開発に携わったものとしてはうれしいことである。

 

その後、私は車載機器開発部門に異動し、現在はカーナビゲーション、カーオーディオなどの開発を担当している。会社での仕事は技術動向の変化に伴い入社当時とは全く違うものとなったが、エンターテインメントの最新機器の開発という面では変わっていない。技術の日々の進歩は目覚ましく、それに対応していかなければ会社も個人も生きていけない。これからも最先端の技術には関わっていきたいと思う。

 

プロフィール

氏名:岩瀬 健志(いわせ たけし)

入学年・学部:1980年 工学部

電気機器メーカー勤務

卒業後、現在の会社に就職し、今日に至る

現英友会役員

ホームページへの寄稿文アップを担当

 

名前はペンネームでも構いません。

最近のお知らせ

【2016年1月28日】new

「英友会通信」のお知らせ。→こちら

 

【2015年11月8日】

「英友会会則変更について」を掲載しました。→こちら

 

【2015年9月4日】

「英友会総会のお知らせ」を掲載しました。→こちら

 

【2015年7月12日】

「シニア交流会開催の報告」を掲載しました。→こちら

 

【2015年4月27日】

「シニア交流会開催のお知らせ(2015年)」を掲載しました。→こちら

 

2015年1月18日】

「若手交流会開催のお知らせ(2015年)」を掲載しました。こちら

 

2014年10月13日

「英友会総会のお知らせ」を掲載しましたこちら

 

【2014年2月1日】

ホームページをリニューアルしました。

 

【2013年11月9日】

英友会を開催しました。

 

【2013年10月1日】

「英友会総会のお知らせ」を掲載しました。

 

【2012年11月20日】

「2012年英友会総会」の写真ページを追加しました。