1967年入学 山本利枝
昭和46年に千葉大学教育学部を卒業し、足立区で小学校の教員としてスタートしました。
卒業式より、早い3月14日に結婚し足立区在住になりました。それから37年間60歳退職まで、常に子どもたちは私に、学びの必要性を与えてくれました。
経験と勘では対応できない難問を担任の私に与えてくれるのです。この状況をどのように打開しいたらよいのか悩んで、何度子どもたちの前で立ち往生したことでしょう。次の言葉を失って黒板の方を向いたまま、1,2分間黙って立ち尽くしたこともありました。
穏やかな学習環境を成立させていくための担任としての力量が問われるのです。毎日起きる事件は、命を守り、ともに生きて見せることでしか解決できない子どもたちの私への真っ向勝負です。もちろん学校はチームワークの現場です。いろいろな方々のアドバイスをいただきます。翌日の子どもたちへの関わりに生かそうとします。しかし、小学校のクラス担任は一人であり、子どもたちと担任の信頼関係はこの両者の問にこそ必要なのです。子どもたちを信じて、信じ切るなかで出される課題に自分で答えを見つけて提案していかなければなりません。
私たち教員は毎日子どもに学ぶことを求めます。ならば私も子どもたちからの課題に対して、自分の実践の未熟さを検証し、謙虚に、科学的に学んでその期待に応える必要があると考えました。
心理の専門職の方々の門をたたき子どもへの関わり方、手だてを学びました。その中で子どもの発達の視点から、子どもの行動を理解し関わる必要性に気づきました。
「臨床発達心理士とは、人の脳、心、身体などの全面的な発達に目を向けて多角的に子どもの行動を理解するための専門職であると考えております。」
子どもたちは日々私の先生でした。常にホームワークが出されます。経験と勘では解けない難問です。なぜ、けなげでピュアな子どもたちの行動が一変してしまうのか、どんな声掛けをすれば、安心したおだやかな笑顔に戻るのか、学び続けました。
わかりました。彼らの行動は問題行動ではなく、困って発するSOS行動だったのです。言葉で自分の困り感を伝える経験が少ないため、行動で示すのです。
「つらい、我慢できません。」の代わりに立ち歩きます。彼らの行動を読み取って他の子に通訳していく必要がありました。
私は現在、学校・幼稚園に巡回支援に伺います。あちらこちらから無言のSOSが
聞こえてきます。担任の先生方と声なき声の子どもの行動が示す意味を共有いたします。
私の小学生時代の将来の夢は通訳になることでした。英語の通訳にはなれませんでしたが子どもの心と行動の通訳をしている気がします。私の先生は今も子どもたちです。
ありがとう! 子どもたち!
プロフィール
氏名:山本利枝(やまもと としえ)
入学年・学部:1967年入学 教育学部
臨床発達心理士
1967年千葉大学入学SESに所属
5月の「私とSES」の筆者岡田富夫さん他先輩方のご指導で
ドラマ「シスターズ、トラジディ」に出演させていただく。
1971年より足立区・荒川区・足立区と37年間教職につく。
2007年現職で臨床発達心理士取得
2008年より5年間足立区教育相談センター非常勤職員
2014年大阪大学大学院連合小児発達学研究科(千葉校)研究生
2015年大阪大学大学院連合小児発達学研究科(千葉校)後期博士課程在籍
現在に至る。
名前はペンネームでも構いません。
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穐田照子 (土曜日, 13 6月 2015 17:39)
山本様
エッセイを拝読いたしました。お元気で研究生活を続けていらっしゃるご様子に嬉しく思いました。近年大学生の学力や社会力が低下していることはご存じのとおり。全入時代を迎えたことや長年積み上げられてきた子供たちの学習習慣や環境の結果ですので、この問題に対する即効薬はありませんが、義務教育現場に山本さんのような教育者がいることは大変心強い限りです。また、お目にかかりお話ができますことを楽しみにしております。
穐田