穐田(あきた)照子 1966年入学
1970年、日本中が大阪万博で沸き立っていた年に卒業しました。卒業後はアメリカの大学に留学し、心理学を学びたいと思っていました。しかし、当時の日本では、心理学を専攻しても欧米のようにクリニックを開いて自立するなどということは全く考えられず、「女性は4年制大学でも長いくらい。早くに家庭に入ることが女の幸せ」などという親の理不尽な反対に遭い、実現しませんでした。その反動で受けた万博エスコート・ガイドの試験にたまたま受かり、卒業式を待たずに訓練のために大阪に行き、社会人としての第一歩を踏み出しました。
万博では、国内外のVIPを様々なパビリオンに案内することも仕事の1つで、今週メディアを賑わせているウィリアム王子の父君、チャールス皇太子も案内をさせていただいた方のお一人でした。テレビで拝見するウィリアム王子と同様、大変気さくでお優しくてユーモア溢れる方でした。125か国が参加した大阪万博は、世界のミニチュアのようなもの。私の留学熱は更に高められることとなり、結局資金も自力で準備し、オーストラリアに留学しました。当時は、空港でも今生の別れかと思われるような親族や友人の「バンザイ」に送られ、飛行機内の壁紙は豪華な布製、「スチュワーデス」は機内で着物に着かえてサービスをしていました。緊急時の連絡は、電報、テレックス、そして3分間1万円以上もする海外電話に頼らざるを得ず、そういった時代に自分たちも行ったことの無い赤道の反対側に娘を一人で送り出す親の心境はいかばかりだったかと、今になってその時の親不孝が思い出されます。しかし、結婚後も夫の仕事の関係で、延べ20年近くを海外で過ごしました。その間、アメリカで学位を取得し、行く先々で大学や国連学校などで教歴を積む機会に恵まれ、2002年に帰国。同年桜美林大学に奉職し、現在に至っています。
ここで、少し仕事の話もしましょう。専門はコミュニケーション学です。比較的新しい学問ですが、多くの人が「コミュニケーション」とは「話し合うこと」で、「話し手」や「話し方」が重要と考えているようです。コミュニケーション学の先進国、アメリカでも、「話し手」から「聴き手」へ情報が一方向に流れる直線的モデルとして捉えられ、話し手だけが注目される時代がありました。しかし、公民権獲得運動、既存の学問体制の変革を求める学生運動などが相次いだ70年代に、教育哲学が全般的に見直され、コミュニケーションの概念にもパラダイム・シフトが起きました。コミュニケーション活動は、「単に情報を受け取るだけでなく、共通の「意味づけ」を行うために、話し手と聴き手が50%ずつの責任をもって行うべき協働作業」と捉えられ、きくことの重要性が強調されるようになりました。
なぜ「意味づけ」にとって「聴くこと」が大切なのでしょうか。「意味づけ」の[意味]は、言葉そのものに付与されているものではなく、「聴き手」が、受信した音声に「意味」を「付けている」からです。話されたことを基にして、聴き手が心の中でどのように意味を構築するかが重要になります。つまり、意味づけの選択肢は、話し手にあるのではなく、聴き手の側にあり、こういう意味だと聴き手が決めるものなのです。「セクハラ」は、行為を起こした側でなく、それを受け取った側の感じ方が重視されますが、その構図によく似ています。従って、コミュニケーションにおいて中心的な役割を演じるのは、聴き手であり、聴き手によって大きく左右されるのがコミュニケーションなのです。
こういった考えは、日本ではまだ一般的でなく、「きくこと」は依然として誰でもできる当たり前の受け身行為と思われ、学習の対象とされていません。しかし、「きく力」は自然に育つものではなく、意識的・計画的な学習継続が必要であることが実態調査によって明らかになっています。そこで、本学では「きく力」を涵養するためのプログラムを2006年に導入し、学生の学びや人間関係、就職などに効果を上げています。人は正に「きくこと」によって学ぶことができ、人の心を思いやることができるのです。
きく力を養成するプログラムで最も難しいのは、評価の方法です。聴くことは相互作用的な複雑で能動的な行為ですから、外から観察不可能な認知プロセスや非言語・パラ言語の理解力も測定可能な方法でなければなりません。アメリカではすでにいくつかの測定法が作成されていますが、日本にはまだありません。コミュニケーション環境もアメリカとは異なります。定年まで数年を残すだけになりましたが、それまでに日本人に適した総合的なきく力が評価できる測定法が開発できればと思っています。
注:「きく」は、「聞く(サイレンや鳥の鳴き声など、入ってくる音をそのままきくこと)」、「聴く(耳、目、心を使い音声および視覚刺激に集中し、理解しようとしてきくこと」,「訊く(わからないことを尋ねる)」の3つを意味します。
プロフィール
氏名:穐田(麻生)照子(あきた てるこ)
入学年・学部:1966年入学 教育学部
卒業後、アメリカで学位を取得し、夫の仕事で延べ20年を海外で過ごす。その間滞在先々の大学で教歴も積む。
現桜美林大学リベラルアーツ学科コミュニケーション学専攻所属
名前はペンネームでも構いません。
コメントをお書きください