1967年入学 西村 叔子
千葉大SESでの4年間(実質的な活動は2年間余りでしたが)は、まさに私の青春だったと実感しています。私はディベイトセクションに属していました。SESで英会話の力がついたらいいなあーくらいに考えて入りましたが、実際には”日米安保条約は破棄すべきか否か”のテーマで議論することが、リンガフォンのテープでの練習よりむしろ重きが置かれていたように思います。しかし、このようなテーマを英語で議論できる力を磨くところまではいきませんでした。ただ先輩の方々の議論を聞いたり、教えていただいたことは、とても勉強になりました。
卒業後KDDに就職し、国際電話オペレータとして働くことになりました。当時は交換手を介して相手と繋ぎ、話す時代でしたから、各国のオペレータとのやり取りを通して、様々な英語に接し、お国事情を知ることができました。また、技術革新の速さをもろに受け、仕事の内容もどんどん変化していきました。
結婚して、専業主婦となり子育て、介護を経て時間に余裕ができた15年前くらいから、住んでいる町田市で外国人に日本語を教えるボランティア活動を始めました。はじめは大人が相手でしたが、ここ10年余りは日本に住んでいる外国籍の小中学生に日本語を指導しています。教育センターの要請で、小中学校に赴き、個々に教えています。はじめは、ほとんどが中国、フィリピン、韓国からの子供でした。東日本大震災で一時減りましたが、ここ2年ほど前から急増し、しかも東南アジアだけではなく、南米、イスラム圏の国々等、全世界から来ています。
留学生と違って、親の都合で日本で生活するようになり、全く言葉も解らない日本での生活はどんなに子供達にとって、不安で苦痛であるかを考えると、何とか日本で生きていける日本語力をつけて欲しいと格闘しています。
子供たちの日本語指導を通して、これからの日本は急増する外国からの人々を受け入れて、多文化共生を考えていかなければ、成り立たなくなっていると感じます。
また、大学紛争の最中のメンバーとの議論、ディベイトやスピーチコンテストの参加、夏合宿、大学祭などの企画、運営などの体験が現在の日本語支援ボランティアに影響し、大いに役立っていると感じています。
そして卒業後45年余りを経て尚会えばすぐ学生時代の気分に戻れる仲間との交流は私にとってとても貴重で大切な財産となっています。
プロファイル
西村 叔子(にしむら としこ) 旧姓酒井
1967年 千葉大学 教育学部 入学
1971年 国際電信電話株式会社(KDD)入社
趣味 北欧刺繍 ガーデニング テニス
名前はペンネームでも構いません。
コメントをお書きください