バンクーバー始末記(上)

鈴木武道 1988年入学

 

 カナダのバンクーバーでシェアメイトとともに、数ヶ月ほど暮らした経験がある。私を含め男性二人、家主である女性一人、それに年老いた飼い猫ジェニーの組み合わせであった。

 そのうちの男の一人はフィリピン系カナディアンだったが、私が居着いてから1ヶ月ほどでカナダを去っていった。

 

 「この国はつまらない」

 

 彼は、居間の壁にかけてあったニューヨークと思しき高層ビルが林立した縦長のモノクロ写真を見ながらそうつぶやくのが常であった(その写真も男の出立後には消えていた)。交わした話題は他にはもう思い出せない。完全に彼はカナダという国から醒めていたのだ。

 

 私にしてみれば、日本で宿の予約もせず片道切符でバンクーバーに乗り込んでから2週間も経っていない頃だったので、肯定も否定もできず、曖昧に受け流すより仕方がなかった。何せ、最初の1週間は節約とばかり安宿に泊まり、二段ベッドが左右2組置いておいてあるだけでいっぱいいっぱいの小部屋の中、夜な夜なゴキブリ(小型)達が顔の上をレース場にしてくるような所にいたので、つまらなかろうが、ナンだろうが、ちゃんとした安全が確保できるだけで十分満足だった。ましてや、そこは立派な暖炉もあって、家主の愛情が行き届いた、インテリア雑誌の中にでもでてきそうな家でもあった。ちなみに、先の安宿にはちょっとした共有フロアーもあったが、そこはどうもこれまで体験したことのない匂いがいつも漂っていた記憶もある。

 

 当時は1994(平成6)年の4月。日本では細川護熙首相が辞任し、新生党、公明党、社会党などの与党がくっつたり、離れたりと、政局は大きく揺れ動いていたが(6月に村山富市首相、自民党、社会党、新党さきがけの連立政権が発足)、体感としてのバブルをなんとか保っていた「元気な日本」の幕引きの頃。カナダの地も、ケベック州で恒例の独立問題騒ぎが起きていたくらいで特に大きな事件もなく、ワーキングホリデービザを手に、中途半端な身分で単独で潜り込んできた日本人がやり繰りして生きるのには、ありがたい時期であった。

 

 また、定住生活を送るのに気候風土というのは、心の安定という意味では大きな要因を占める。経験した4月から8月までのバンクーバーの自然は、外国人にも優しかった。日差しは強いが湿気が少なく、サマータイム制ということもあり、夜の8時、9時でも明るさが保たれている。4月の頭に入国してから3週間ほどで幸運なことに広告会社が発行する新聞の仕事も見つかり、そこからはある意味単調な生活が始まったが、終業後、会社から出てもずっと空の色は変わらないので、自然と足は外に向く。これまた都合がよいことに、職場があるダウンタウンからバスで20分ほど揺られて自宅に帰っても、すぐ近くに海岸があるので、散歩がてら夕陽を見学できる。それも人口密度が低いカナダだけあって、風景はいつも独り占め。それまで怠惰な学生生活を過ごしていただけで、別に日本で心に深く病んでいたわけではなかったが、来て早々、それもほぼ毎日、異国の癒しを満喫した。

 

 ただ、少し修正を加えると、カナダといえば、最近では朝の連続ドラマ『花子とアン』(NHK、吉高由里子主演、2014)で『赤毛のアン』が注目を浴びたが、主人公アンの舞台となったプリンス・エドワード島は、バンクーバーとは地理的には真逆のポジョンにあり、しかもあれはかなり田舎の設定なので、「かもめが翼を日光で銀色に光らせて、舞いあがって」いたり、「ほたるが『恋人の小径』(注:小説上でアンが勝手に名づけた径の名前)のしだや小枝の間を縫うように飛んで」いたりするような場面は目撃しなかった。『赤毛のアン』は、「世界名作劇場」において日本でアニメ化(フジテレビ系、高畑勲演出、1979)されたし、それこそ先ほど引用した村岡花子の名訳(新潮文庫、1954)が既に出版されており、もともと日本人にも馴染み深いが、そこに描かれているほど彩りのある自然はバンクーバーにはなかった。ただ、アンの世界全体を通して醸し出されているカナダの風土としての緩さ(温かさ)に、共感できるところが多々あったのは確かだ。

 

 私が住んでいた角部屋の窓を隔てた向こうには、大きな木が1本たっており、そこにはリスがよくよじのぼってきて、朝などはその足音が合図で目が覚め、例えがマニアックで申し訳ないけれど、バンクーバーのキツラノ・ビーチで夕陽を見るたびに、かつて日本で見ていたテレビ番組「金曜ロードショー」(1985〜97年)のテーマ曲「フライデー・ナイト・ファンタジー」のトランペットの音が、例の画面とともにスイッチが入ったように頭の中リピートするようになった。

 

ともあれ、それなりに賑やかな街中でしっかり働いて、いざ家に帰れば海岸に出て夕陽を眺めることができるのは、いま振り返っても贅沢な話。大した冒険もないが、ごくごく普通の海外での暮しが到着して1ヶ月で確保できたのは有り難かった。そして、この生活をずっと続けていたかった。高校2年生の頃から待ち望んでいたことが現実になったからである。

 

プロフィール

氏名:鈴木武道(すずきたけみち)

入学年・学部:1988年入学 文学部

卒業後、カナダで新聞の広告営業、帰国後、新聞記者、企画会社スタッフ、塾講師、DTP制作者から、DTP制作会社を立ち上げ、独立。さらに、雑誌発行人、編集プロダクションプロデューサー等々紆余曲折を経て、現在は書籍出版社で編集者をやっている。

名前はペンネームでも構いません。

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