平松博志 1968年入学
“とにかく、メコンデルタの自然の恵みは圧倒的だった。”“働かなくても十分食える、という自然状況はたしかに私たち日本のサラリーマンの想像を絶している”
これは「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一著1978年5月文芸春秋)に書かれているものだが、私は初読後から“いつか自分の目で見に行こう”と思い続け、30年後の2008年7月28日長年の念願を果たすことができた。
その日私はメコンデルタツアーに参加した。ホーチミンから120kmのCai Beiに行き、ボートに乗り換え2時間程メコン川支流を巡り、昼食後Vinh Long市場に立ち寄り、ホーチミンに戻る英語ガイド付きバスツアー。
バスは多国籍の30人を乗せSinh Caféを出発、市内を15分ほど走り郊外へと向かう片側4車線の新幹線道路に入る。片側4車線は2車線ずつに分かれ、歩道側2車線はバイク専用レーンで、沢山のバイクが猛スピードで走っている。内側車線と外側車線の信号は別で、内側を走るバスや車が赤信号で止まっていても、外側のバイクは青信号でどんどん進んで行く。ホーチミン人口900万人、バイク500万台とのこと(ツアーガイド情報)で、バイク優遇を実感した。
新・幹線道路が尽きるとバスはメコンデルタの幹線道路に入り、時折町並みの中を通る他は田園地帯を走り続ける。米は年3回収穫できる三期作で、稲穂が垂れている隣に収穫を終えた田があり、田植えの準備のところもあり、面白い。田んぼの中に墓があるのが不思議でガイドに尋ねると、“農民が亡くなると自分の田んぼに埋葬する”とのこと。道の両側には途切れなく家並みが続き、家の側には“椰子の木”と“バナナ”が植えられている。家並みの裏手は田んぼで、その近くを小川が流れる。この自然を見れば、近藤紘一が感嘆するこの土地の豊かさが理解できる。そこには日本人が信奉する“労働は美徳”の精神は存在しないようだ。米を育て、椰子の実とバナナがありそして裏の小川で魚を捕れば食べてゆくのに困難はないだろうと思った。
道路脇の椰子の木
田んぼの中の墓
メコンデルタの町Cai Bei
プロフィール
氏名:平松博志(ひらまつひろし)
入学年・学部:1968年入学 人文学部
卒業後ほぼ一貫して海外関係業務に従事し、延べ7業種7社に勤務。
現在は3つ目の会社に二度目の勤務中。クラブで学んだ英語に助けられてきました。
名前はペンネームでも構いません。
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