香取久子(旧姓大武) 1965年入学
私がSESに入部したのは、専攻の英語科の天野先生のお勧めによるものだった。楢戸(旧姓林)恵子さんら何人かと加入したが、自分の専攻と重なることで、逆説的に微妙に活動に引いているところがあって、そう積極的でもなかった。
それでも、SESの部室には人を引き付けるところがあって、古い木造の部室に暇があると始終通っていた。同期の残念ながら先年亡くなられた工学部の伴さんや経済学部の川又さん、教育学部の楢戸さんや小針(旧姓関)さんらとよくしゃべった。
卒業後、ほとんど英友会からのお便りだけというような薄い関わり方だったが、1986年に夫の海外駐在に伴い、当時の西ドイツのデュッセルドルフ近郊へ引っ越した。日々のやり取りは当初はこちらのドイツ語は拙いので、若いドイツ人は英語がよくわかるから、英語の助けを借りてやっていた。 3年後、ロンドンへ移った時はこれで日々のコミュニケーションも楽になると思ったら、BBCアナウンサーのような話し方どころか、大家のインド人男性は言うに及ばず、人々の英語は多種多様で、銀行の窓口係のお姉さんのコックニーが聞き取れず、とても焦った。
1991年に帰国してもSESとの関わりは少なかったが、それが変化したのは2年上の松井孝雄さんから写真展の案内を頂いた時だった。久しぶりに松井さんの同期の方々や1年上の高橋洋司さんにお会いし、その中から同期の桒田さんが音頭を取って、山本さんが園長をされていた昭和記念公園へ伴さん、安田さんらと出かけた。川又さんの写真展出品作も見に行ったりした。
そんな中でずっと連絡を取り合っていたのは楢戸恵子さんで、東京へ来ると小針さんと一緒に食事したりしている。その折、健次郎さんのネパール土産のショールなどをよくいただいている。
プロファイル
氏名:香取久子(かとりひさこ) 旧姓大武
入学年・学部:1965年(昭和40年)入学 教育学部
卒業後、大学の助手として主にLL授業を担当。
5年間の在外生活の後、非常勤講師として、
大学や看護専門学校の授業を担当し現在も継続中。
名前はペンネームでも構いません。
コメントをお書きください
桒田 昌典 (火曜日, 24 3月 2015 08:38)
香取(大武)さんとは昭和記念公園で卒業以来久しぶりに
再会してから、SESのいろいろな会合で顔を合わせ、パワーを
いただいてます。ますますの活躍をお祈りします。