1963年入学 松井孝雄
社会人を卒業と同時に季節感にメリハリのある北海道に転居し新たな生活を始めた。東京で立ち上げた研究会運営の為に毎月上京し、妻に「何の為に転居したの」とからかわれて11年になる。私がSESで学んだ事の中で大事にしている事の一つが、人との交わりをどのようにして広げ、掘り起し、維持していくかである。社会人となりR&Dに携わる中で、初めて訪問する部署には先輩たちにの特徴や人物像を聞いて事前に情報を入手したり、全く面識のない企業を訪問する際には、学会誌などを読み電話をかけたりしてきっかけを作ったり、会う人が今何に一番関心があるのかを聞き出したりして出会いに工夫をして、人脈構築をしてきた。今でも私はこのことに関しては他の人には負けないという自負すらある。大事なことは、根気と熱意が大事であることに加え、相手の立場に立ち考え、対応するということである。
天野先生の千葉大学退官記念会(1968)での記念写真集贈呈に携わったのをきっかけに、先輩の粟屋育造さん(1955)、高井英造さん(1957)、故藤井勤也さん(1958)、斎藤収さん(1958)、故山崎哲也君(1962)、故伴正君(1965)等との交わりを深め今日がある。
(天野先生等の追悼会(2013)では鈴木武道君(1988)と連絡のつかない世代を掘り起こすことで交わりができた。天野先生が導いてくれたのかもしれない?)
とりわけ故伴正君は後輩との輪を広げてくれた一人である。
SESの集まりで声をかければいつも来る人は ほっておいてもいいのである。
2年前に私が企画した交流会を覚えておられる人もいるかもしれないが、女性が非常に多く参加してくれた。これを実現するために半年前位から世代を超えた声掛けをしたのである。メール全盛の中にあって、手紙を出したり、電話をかけたり、横への連絡を依頼などしてもらい集まってもらった。(心無いことが起こり松井は痛く気分を害し残念至極。)
私が今も心しているのは、亡くなった先輩、同期、後輩のご家族との交流や、事情があり会合に出れない人に連絡を取り、交流を維持していることである。これにはそれなりの努力と心配りと骨折りが必要なことは言うまでもない。
人が集まってくれるのは会合があるから集まるのではない。あの人がいるなら、あの人に会えるから来るのである。SESに限らず学ぶことも大事だが、人との交わりをどう対応し、維持するかは大切な事と私は考えている。
プロファイル
氏名:松井孝雄 (まついたかお)
入学年・学部:1963年(昭和38年)入学 工学部
卒業後日東電工株式会社就職
趣味は写真撮影、オカリナ演奏、野草栽培
第2期英友会役員、北海道在住
名前はペンネームでも構いません。
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