私とSES第8回

大川義清 1961入学

動 機

私が入学した頃(1961年)は、日本経済が右肩上がりで、企業などの海外進出が盛んで、これからは、「英語の時代だ」と思い、高校時代特に英語が好きだったわけではなかったが、ふらふらと、SESに入部した。特に入部を誘うポスターとか、勧誘はなかったと思う。

同 期

私は園芸学部ですから、同学部で、SES入部を言う人は少なく、自分ひとりで、校舎から離れた所にポツンと建っている木造の小さな倉庫の様な部室に、恐る恐る行きますと、颯爽とした、優秀そうな皆さんが、温かく迎えてくれました。皆先輩の様に見えましたが、後から考えると、多くが同学年の人たちでした。

動 悸

1年のとき、合宿中は英語のみという榛名湖での合宿に参加し、その合宿が終わる頃、先輩に呼ばれ「ドラマに出ないか?」と誘われました。背が少し高かったから誘われたのでしょうか。ドラマのタイトルは忘れましたが、医学部の勝又君や、園芸学部の指宿君、薬学の西野さん、教育学部の竹蓋さんが、出演しました。皆、1年生でした。発声、発音は先輩が指導してくれ、大学祭で何とか演じました。ドキドキものでした。

同 族

私がSESにいた頃は、もう半世紀も前ですが、「スモールグループ制」により、2年生が1年生を教え指導するシステムでした。2年生の男女1名づつがペアになり、6,7人の1年生を1年間教えるのです。私の場合、ペアの相手は古谷さんでしたし、教えた(?)1年生には、高橋さん、土井君らがいました。教科書は赤いビニールレザーの表紙の「SPOKEN AMERICAN ENGLISH」でした。

このスモールグループは、2年生をパパ、ママとする1家族の様な感じでした。夏休みにスモールグループの皆さんに、富士山の近くの我が家に一泊で 来て頂いたのもよき思い出です。

道 程

3年生になると、専門課程となり園芸学部は松戸で、私はその寮に住んでいましたから、稲毛や西千葉とは疎遠となりSESからも自然と遠のき、SESの活動には参加しなくなりました。

このわずか2年間のSESの英語が農林省(当時)に入省してから、外務省、国際協力事業団(JICA)への出向や、同省国際部、熱帯農業研究センターでの勤務の引き金になったと思われ、私の社会人人生に、普通では得がたい彩りを与えてくれたと思っています。

筆者近影


プロファイル
氏名:大川義清(おおかわよしきよ)
入学年・学部:1961年(昭和36年)入学 園芸学部
卒業後官庁(農林省)就職
退官後植物検疫協会勤務、2014年5月末完全退職
正しく「晴耕雨読」「低温戸外 高温室内」の日々

名前はペンネームでも構いません。

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