ジグザグ奮闘記---音声学から言語聴覚士・臨床発達心理士へ

編集部注

<発達心理学は赤ん坊から高齢者まで、幅広く人の一生涯の「発達」を扱い、どのように支援したらよいかを扱う実践的な学問である。臨床発達心理士は、関連4学会連合体である臨床発達心理士認定運営機構を認定団体とし、発達心理学を学問的基盤とした発達援助を行う心理職資格である。>

 

ジグザグ奮闘記---音声学から言語聴覚士・臨床発達心理士へ

松井尚子 1964年入学


 <
天野先生の言葉>

子どもはどのように話し言葉を習得するのか? 話し言葉が習得しにくい状況とは? 今も謎だらけですが、これらの自問が音声学から方向を転換する契機でした。それは天野・鈴木両先生に学んだ音声学への関心から派生するものでしたが、天野先生は「険しい道になぜ?」とのご感想。しかし結果的には暗黙の応援をいただき、その方向へ舵を切りました。

短大退職後は3人の子どもの育児に専念。その間、子ども達の声を録音する事以外は中断したままで、家庭教師を少しだけ。末っ子が3歳の時「やりたかった事を始められるか?」と思う瞬間がきました。舵をきってから10年後の事です。大津で主婦向け講座に参加。最初の講師が「びわこ学園」高谷清先生。発達障がい挑戦への第一歩でした。最後の講師に勉強の場を相談した所、講師の子息(O市児相)から「(文部省に申請中の)滋賀大特殊教育特別専攻科への入学は?だめだったら聴講生で」の助言。試験まで3か月程。その試験が4月にずれて、次男の小学校入学式と重なり、夫の出番となりました。その翌日に義父が他界。父が一日待ってくれたと思いました。    

専攻科は一年課程で、家庭教師収入から学費と末っ子の保育園費をねん出。単位と論文と養護学校実習の全てを一年でクリアする超多忙な年で、一期生と言う事もあったのか、先生たちにも活気があり、医者の授業では、ガラス越しに脳の解剖に立ち会うという初めての経験もしました。記録した三人の子どもの声や言葉は整理し直し修了論文にしました。修了後も大学ゼミと学内療育を継続しながら、O市児相スタッフの一員として湖西療育教室の仕事を開始。しかし2年そこそこで、夫に東京への転勤辞令。大津は大好きな場でしたが、仕方ありません。その状況で何ができるか?自問自答の末、 仕事の中断が避けられないなら勉強のし直しをすればいい。但し、自力で学費をねん出するには受験は官立のみ。試験まで4か月しかなく、迷う暇がなかっただけですが、入学した後に他の方たちの周到な経緯を聞き、いかにそれが無謀な事かが初めてわかりました。

 

<初体験いっぱいの修士課程、博士課程>

結果が一番早く出た東京学芸大学修士課程(障害児臨床講座)に籍を置きました。大学の近くに引っ越し、末っ子の小学校入学と一緒に入学。新入生健康診断で「つきそい」に間違われる程、社会人入学がまだ珍しい時代で、勉強合宿での男女不問・全員雑魚寝には眼を丸くしましたが、学内臨床の機会をいただけた事は幸いでした。二年後、修士論文提出日は私の41歳の誕生日です。午前0時に閉まる大学の門を、明け方、指導教官(も女性)に続き、よじ登って飛び越え、予め外に駐車しておいた車で自宅に戻り、子ども達を学校に送り出した後、論文を提出(その翌年の誕生日も後輩の論文「清書隊」として同じく門を飛び越えました)。修了後は非常勤の臨床言語士(後に国家資格化に伴い、40数科目の受講と国家試験を経て言語聴覚士へ)、として、都内の療育機関で障がいを持つお子さんや親御さんと貴重な出会いを重ね、その後、縁あって札幌の言語聴覚士養成校で専任教員になりました。

仕事の傍ら、その頃から通っていた北大ゼミの教官から募集締め切り34日前に博士課程を打診され、驚きましたが、養成校での教員生活も一段落しそうでしたので、とりあえず研究計画等の書類を整え、締め切りぎりぎりに出願。A44枚程の英文試験と研究計画を細かく確認される口頭試問に臨みましたが、気が付くと60歳でした。   

博士課程では「抱き」のメカニズムと障がいを持つ子どもの「抱かれにくさ」がどのような背景で起こるのを探りたかったのですが、仕事をしながらの細かいデータ分析に疲労困憊し、成果は学会発表に留まりましたが、指導教官の退官を機に在籍5年で中退を決めました

 

<言語聴覚士・臨床発達心理士として>

その中で、あらためて思うのは、言語獲得の根源には、知的・対人面などの、いわゆる発達的側面に加えて、もう一つ「身体」が深く関与していると言う点です。例えば、抱かれた乳児は早い段階から、「抱く」人の体勢に合わせて身体的な微調整をしていることがわかりました。つまり、乳児は「抱かれる」だけの存在ではなく、身体の感覚を通して他者を「抱き」、それらの経緯を経て、多様な他者に気づき、やがては他者の発声・発語にも関心が向いていくのだろうと思います。しかし、乳児の段階から「抱きにくさ」を訴える親御さんが少なからずおられて、「この子は私になつかない」と嘆かれる事があります。その場合、心情的な問題というよりは身体的・感覚的な微調整の段階で他者の受け入れが難しい・あるいは抵抗があるのかもしれない。それなら、言語の問題は少し先に置いてでも、先ずは何らかの形で他者に気づく方向を探る必要が出てきます。

「抱き」への、この種の違和感に限らず、障がいを持つ乳幼児と親御さんの間に何らかのギャップがあれば、その源を探りだし、それを親御さんに説明し、励ましながら埋めていく、それも言語聴覚士・臨床発達心理士の仕事の一つだと思います。現在、療育や相談の仕事は一段落とし、〇市の子ども未来局嘱託として保育園に窺い、保育者と一緒に、障がいを持つお子さんの保育支援を考える仕事を続けていますが、それも含めて、来年の古希を機に全ての仕事に一区切りをつけたいと思っている所です。

 

<最後に>

振り返るとなんと短い30数余年であったか、と思います。仕事をしていると難問にぶつかり、それを打破すべく大学に戻り、結果的に仕事と研究がまるでサンドイッチのようになってしまいましたが、それは、移動等に伴う中断の度に「その状況で何ができる?」と、自問し続けた結果にすぎないとも言え、将来計画が最初からあった訳ではなく、出会った子ども達からエネルギーをもらいながら、どちらかと言うと成り行きに任せて、ジグザグしながら、一つの道を歩んできただけです。

天野先生が予見されたように、方向転換先は難しい仕事 (そもそも難しくない仕事なんてあるでしょうか?) であったとは思いますが、幸い私には多くの導き手がいました。先ず、仕事で出会ったお子さんとその親御さんです。たくさんの事を教わり、気づかされ、幾度となく我が身の力不足に打ちのめされましたが、次の一歩を踏み出す勇気をくれたのもそのお子さんや親御さん達です。

それに、その都度の仕事仲間と天野先生を初めとする多くの、私よりも若い先生も含めた恩師たちの存在です。難問・疑問にぶつかる度に好意的かつ根気よく、能天気な私におつきあい下さったお蔭で、今日があると思っています。音声学で教えられた事は発表論文の一つで、発達障がいを持つ子どもさんの発声分析の助けとなりました。又、恩師のお一人で、公私に渡って支えて下さった修士時代の指導教官は言語聴覚士の国家資格化に際し、関連学会のトップとして、当時の厚生省と粘り強い交渉を重ね、一歩も引かない決意で、少しでも内容の充実した資格を、とその実現に心血を注がれ、その生き様の力強さからも「一歩・一歩」の大切さを教えられました。さらには家族が「落ちこぼれ主婦」の私に早い段階で見切りをつけてくれた事も何より幸いな事でした。出会って下さった多くの方々に心からお礼を申し上げます。   

 

筆者プロフィール

氏名:松井尚子(まついなおこ)

入学年・学部:1964年入学・教育学部 

在学中、天野教授から音声学他の指導を仰ぐ。

教授が退官された後の赴任先(大妻女子短大)で助手を務める。

その後は非常勤の形で言語獲得を含めた障がい乳幼児の発達支援の仕事に従事。

専門学校・大学非常勤講師。 北海道在住。


名前はペンネームでも構いません。

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コメント: 1
  • #1

    neru (火曜日, 12 9月 2017 13:50)

    こんにちは
    文中に「臨床言語士(後に国家資格化に伴い、40数科目の受講と国家試験を経て言語聴覚士へ)」とありますが、もう少し詳細に教えていただけると助かります。
    現在、私は臨床心理士として働いていますが、来年から国家資格となり、公認心理士の資格を取りなおさなければなりません。言語聴覚士の方も移行措置期間があり、第1回の国家資格を取る前に講習会が開催されたと聞いてます。
    この講習会は、国家資格の試験内容とリンクしたものだったのでしょうか?
    第1回目より第2回目からの試験が難しかったとの投稿がありましたが、どうだったのでしょうか?
    教えてください。
    また、国家資格となった後は非常勤職で働いていた方も医療関係などでは正社員として雇うことが多くなったのでしょうか?

    よろしくお願いします。

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