福部國弘 1960入学
私が入学した当時の校舎は、教養の稲毛も工学部の松戸も木造の兵舎そのものでしたが、活気に溢れていました。オリエンテーションで心理学の当時既に著名だった望月教授から、クラブ活動に入るのならSESがお薦めと言われたので迷うことなく入部しました。
部室は、一見バラック的な一軒家でしたが、みんな元気で明るい雰囲気でした。入ったグループリーダーは土屋元子さんで、きれいな発音と丁寧な説明が魅力的でした。当時の部長は、ジミーこと中田肇さんと後期は大里英夫さんで笑い声が絶えませんでした。この部室には、雑記帳があり先輩たちのその日の出来事やら感想等があり、感心しながら楽しく読ませて貰いました。私もクローレンスとかの名前で記入した記憶があります。また写真も沢山あり、スピーチコンテストで優勝した先輩の方々がおられ自分には出来ないことだなと思っていましたが、それらも全て消失してしまい,SESの歴史を失ったなと感じました。
当時は、ケネディー米国元大統領の就任演説が人気で、暗記出来るまで何回も部長の前で恥をかきながら、スピーチした記憶があります。生の英会話を聞くのは、リール式のテープレコーダーからでしたので、自分でも欲しくて 欲しくて父にねだって秋葉原で15,000円で買って貰いました。社会人になってからでもそれを暫く使っていました。街の英会話教室は今のようになく、仕方なしに同期の岩城君と教会(モルモン教)に週1回行って、お祈りとバイブルを読まされた後、生の英語を聞いて多少の会話もさせて貰いました。神父の奥さんからお世辞に、発音がきれいと言われたのは、これが初めてで最後でした。
楽しかったのは、夏の合宿でどんなことをしたのかはハッキリ記憶にありませんが、みんな明るく輝いていましたね。
最近の同窓会で会った友人が学生時代に福部から車内で英会話をしようと迫られたのには参ったと想い出を話してくれましたが、その友人は卒業後海外勤務をして、英語はペラペラになっていました。一方私は海外勤務が無く、英語には無縁になってしまいました。現在英友会に関わっているのは、現役時代の人と人との絆を大切にしたいと思い、今も何かのイベントがあると顔を出して、皆様の活発な話を聞くのを楽しみにしております。
プロファイル
氏名:福部國弘(ふくべ くにひろ)
入学年・学部:1960年(昭和35年)入学 工学部 電気工学科
卒業後電電公社入社。のちに民営化されNTTデータへ。途中で関電工に再就職。定年で再度NTTデータ、最後にまた関電工。
退職後はスポーツボランティアを経験し現在陸上競技の公認審判員。及び地域でいくつかのボランティア団体で活動中。第2期英友会事務局長。
名前はペンネームでも構いません。
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