土屋元子 1959年入学
SESというと入学当初のSESとの出会いが一番鮮明です。世間知らずの女子高から来た私にはSESしか入るべきクラブはなく、迷うことなく入部したものの、部室は立派な一軒家で、そこにはあふれんばかりの学生がいました。学部も専門も違うのに英語に興味を持つ学生の多さに圧倒されました。後で100人の入部者があったと聞きました。それだけで2年生から上の方々の熱意がしのばれますが。時代でもあったのでしょうか。
上級生は競って親切で、目が舞いそうでした。たった一年上の2年生がグループリーダーとなって、発音から英会話の練習、歌などを指導。リーダーは医学部の貝田豊郷さんと万本盛三さんで、開隆堂出版のUseful Englishとお二人が用意した主に英語の歌のプリントで、教材は後々までも役に立ちました。すばらしいご指導でした。
「♪英研良いとこ一度はおいで、春には遠足、夏にはキャンプ、秋にはスピコン無理して出れば、二つのお膝がブールブル」、たくさんの行事の思い出が残っています。大学祭には千葉県下の中学校の代表のレシテイションコンテストと高校生?のスピーチコンテストを行うほか、英語劇も松村満美子さんのご指導で上演。ドギマギの体験でした。スピーチコンテストやディベートの試合は校内のみならず、対外試合もあり、大勢で東京の大学まで出かけたものです。先輩たちのまばゆい歴史もあるわがSESでしたが、参加したメンバーはよい経験になったと思います。私は参加する内容がなかった。幼さ故でした。
SESは何よりも人との出会いの場でありました。先輩、同輩、そして後輩たちとの出会いです。先輩たちは優しく、よく勉強していて、親切で、同輩たちとは思いを共有しあうかけがいのない仲間、それから学年こそ下であったけれども大いに学ぶことの多い、素晴らしい一年生、特にグループ活動で知り合った方々は多士済々で、貴重な出会いでした。ですから、OBの会合には出席したくなります。もう出てくることができない、大事な方々の慰霊祭ができたことはせめてものなぐさめになりますが、SESで知り合えた人こそ宝です。
もう一つ私の卒業後の就職先は海外技術者研修協会というアジア、アフリカ、ラテンアメリカの技術研修生のための団体でした。私の英語力や大学に学んでいたアジアの留学生との交流、2年生の夏休みに寄付を募って医学部の勝山寮を利用したSESの先輩も交えた交流会を企画した経験も後の仕事につながったと思っています。
プロファイル
氏名:土屋 元子
入学年・学部:1959年(昭和34年)入学 教育学部第二教育学科英語科
海外技術者研修協会にて英文雑誌の編集と英語通訳担当。
11年後ロンドン大学に留学。
言語学のMAをとり、帰国後は大学専任教員となる。
担当は英語全般。音声学、ドラマに造詣が深い。
名前はペンネームでも構いません。
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