粟屋育造 1955年入学
私がSESに入ったのは、とにかく英語ぐらい話せなければ困るだろうぐらいの軽い気持ちで入ったと思います。
入ってすぐに出会ったのは、武田さんとか植村さんとか鈴木博さんとかのすごい先輩方でした。がらんとしたバラックの教室で、武田先輩が、天野先生と差し向かいで、レッスンされておられた姿をよく見かけました。
入部した時のチェアマンは教育学部の相沢さんでした。相沢さんとか島田千代子さんの先輩にはいろいろお世話になりました。
今みると英友会の名簿に彼、彼女の名がないことに違和感を感じてます。改めて思うけどスタートした時に、我々配慮が足りなかったのだなと50年もたってからの反省です。
どの学部の学生も稲毛キャンパスにいるのは、2年だけで、あとは各学部に散らばってしまうので、SESのチェアマンは2年生が4月から受け持っていましたが、高校の部活動よりも短い経験で、あとは先輩みたいな感じでやっているのはずいぶん変だと思っていました。
でも、2年になると、鈴木正昭君がチェアマンを引き受けて、しっかり運営してくれました。だから僕は、勝手なことをしていればよかったんだと思います。
その頃、米軍軍属のWayne Maloyさんという方を紹介されて、数人で月1〜2回原宿のアパートへ勉強に(遊びに)通っていました。このMaloyさんとは、2000年に彼が亡くなる迄、おつきあいがありました
私自身は、SESでしっかり英会話を勉強したというよりは、いろいろな他学部の友達と、日本語でしゃべっていた時間の方が圧倒的に多かったように思います。
プロファイル
氏名:粟屋育造
入学年・学部:1955年入学 工学部 機械科
電機メーカー販売会社勤務
名前はペンネームでも構いません。
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