(「60周年記念誌」編集部編)
西暦 | 年号 | サークル・英友会の動き | 補足 | 大学の動き |
1927 | 昭和2 | 英語クラブが誕生 | ドイツ語偏重教育における学生の反発から | 千葉大学の前身のひとつ千葉医科大学 |
日中戦争により英米と日本の関係が悪化し、やがてクラブは衰退し、第二次世界大戦直前には、英語を使うことができなくなり廃部へ | ||||
1949 | 昭和24 | 米語研究会設立 | 榎本長治さん、国吉丈夫先生が中心 | 新生千葉大学誕生。当時、千葉大は二期校、後に一期校 |
1951 | 昭和26 | ESSと名称変更 | 委員長斎藤良明さん | |
第1回学内スピーチコンテスト | 小池(千葉大)学長杯として。優勝は武田敏さん | |||
1952 | 昭和27 | 第1回夏合宿 | 勝山にて。委員長海野茂さんの提案。3泊4日で午前は英語、午後は日本語。中国人の留学生も参加 | |
1953 | 昭和28 | 部室を獲得 | 1坪半の小屋。ただし他のクラブは部室をもてなかった | |
SESと改名 | 顧問にチーフ・アドバイザーであった吉武好孝先生から天野一夫先生となり、天野先生の「話された英語」(スポークン・イングリッシュ・ソサイティ)を研究するという思いから改名 | |||
1954 | 昭和29 | 部室2号を獲得 | 6坪ほどの建物 | |
1955 | 昭和30 | ISA(International Student Association)に加盟 | ISAは各大学のESSの連合体 | |
千葉県下中高コンテスト開催 | 教育学部英語科との共催。中高生はレシテーションのコンテスト。部員は運営管理をし、当日は寸劇やレシテーションなどを披露する | |||
シニア四大学コンテスト | 日・中・明三大学スピコンとして日本大学、中央大学、明治大学が行っていた大会に千葉大が加わる。千葉大が団体優勝。後に京葉大学コンテスト | |||
第1回国立三大学スピーチコンテスト開催 | ただし、このときは東京外語大学と千葉大の2校だけ。翌年から東大も参加。2011年現在の「六大スピーチコンテスト」の前身 | |||
1956 | 昭和31 | 第1回高松宮杯 | 武田さん優勝。「ディベートの慶応」「ディスカッションの東大」「スピーチの千葉大」「プレイ(ドラマ)の早稲田」と呼ばれる | |
国際英会話研究室(部室)を完成 | 大学に譲渡された建物を貰い受け、小池千葉大学長から、大学の予算で中を改造してもらう。3つのブースと2つのディスカッションルーム | |||
1957 | 昭和32 | ジュニア四大学コンテスト開催 | 明治、早稲田、慶応、千葉大の1・2年生対象のスピーチ大会 | |
1958 | 昭和33 | 新制創立満10周年 | 翌年、祝賀会を開催。100名近く出席 | |
大学祭で初のドラマ公演 | 委員長高井英造さんの提案。以降、定番に | |||
1959 | 昭和34 | 英友会が発足 | 粟屋育造さん、神崎保徳さん、鈴木正昭さん武田さんが発起人。初代理事長粟屋さん | |
千葉県下中高コンテストの開催時期変更 | 大学祭の時期に変え、ドラマとの二大活動となる | |||
関東国立大学コンテスト開催 | 茨城大、埼玉大。最終的には六大学となって現在は廃止 | |||
国立三大コンテストが国立四大コンテストに改名 | 東京医科歯科大学が加わる。東大、東外大、医科歯科大、千葉 | |||
サークル会報誌『LET'S GO』1号発刊 | ||||
1960 | 昭和35 | 国立四大コンテストが国立五大コンテストに改名 | お茶の水大学が加わる。東大、東外大、医科歯科大、お茶の水、千葉 | |
関東国立大学コンテストが関東六大学コンテストに改名 | 群馬大、高崎経済大、新潟大学が加わる。茨城、埼玉、群馬、高崎、新潟、千葉 | |||
SESの歌が完成 | サークル創立当時から要望の会ったSESの歌を、武田さんが作詞家・作曲家に交渉して完成。作詞は詩人の坊城俊民さん、作曲は作曲家の藤橋清助さん。第2、第3の歌も作られる | |||
SES10周年記念号刊行 | ||||
1962 | 昭和37 | 国立七大コンテストに改名 | 都立大、東京教育大(現、筑波大)が加わる。東大、東外大、医科歯科、お茶の水、都立、 教育大、千葉 | 千葉市小仲台にあった文理学部、千葉市市場町、四街道にあった教育学部が西千葉キャンパスへ |
千葉県下中高コンテストの内容変更 | 高校生の部にスピーチを設ける。翌年は中学生の部も | |||
1963 | 昭和38 | スモール制の変更 | 前期をスモールグループ制、後期はセクション制 | |
1964 | 昭和39 | 関東六大学コンテストが関東五大学コンテストに改名 | 新潟大が外れる。茨城、埼玉、群馬、高崎、千葉 | 松戸市にあった工学部が西千葉キャンパスへ |
京葉四大学スピーチコンテスト | シニア四大学コンテストから改名。1969年、中央大学ESS解散とともに中止 | |||
1965 | 昭和40 | 部室が西千葉へ移転 | ||
1966 | 昭和41 | 薬学部が西千葉キャンパスへ | ||
1967 | 昭和42 | 完全セクション制へ | 従来のスモールグループ制が廃止。スピーチ・ディベート・ドラマに完全に分かれる | |
千葉県下中高コンテストの開催時期変更 | 大学祭から夏へ | |||
1968 | 昭和43 | 顧問天野一夫先生退官 | 文理学部が人文学部・理学部へ | |
1969 | 昭和44 | 『LET'S GO』20周年記念号刊行 | ||
1970頃 | 昭和45頃 | 千葉県下中高コンテスト中止 | ||
SESからESSと名称変更 | ||||
1972 | 昭和47 | 部室が火事で焼失 | ||
1975 | 昭和50 | 看護学部設置 | ||
1978 | 昭和53 | 部室が火事で焼失 | ||
1979 | 昭和54 | 大学共通第1次学力試験開始 | ||
1980 | 昭和55 | セクション制を廃止、ターム制へ | 時期ごとで全員が各活動を行う | |
1981 | 昭和56 | セクション制を復活 | ドラマもセクションとして復活して、DDDS体制に | 人文学部が文学部・法経学部へ |
1982 | 昭和57 | 部室が移動 | 現在のサークル会館へ | |
1984 | 昭和59 | 卒業文集『SHOT'84』刊行 | 10年以上休止していた会報が、卒業文集として、顧問の内海滉先生のアドバイスによって復活 | |
1988 | 昭和63 | 夏合宿 苗場ロッジ ランバージャック | 翌年、オーナーは同じだが、宿の場所が近辺に変わり(ホテルウインストン)、翌々年に同じ建物で、名前がLUMBER'S INNとなる。それ以降11年間(2000年まで)、連続してここで合宿を行う | |
1989 | 平成1 | 新歓スピーチ大会トミーズカップ開催。春の学内スピーチコンテスト廃止 | 2011年現在継続中。春の学内スピーチコンテストはここでなくなる。新歓スピーチ大会の名称「トミーズカップ」は、実際の開催後、つけられた | |
1990 | 平成2 | 大学入試センター試験開始 | ||
1991 | 平成3 | 新歓プレ・フレッシュマンディス会場変更 | 会場を千葉工業大学から東京経済大学へ | |
1992 | 平成4 | 新歓ディベート大会クイーンズカップ開催 | 2011年現在継続中 | |
2000 | 平成12 | 『50周年記念誌』発刊 | 英友会有志による発刊 | |
2008 | 平成20 | 英友会会長内海滉先生逝去 | ||
2009 | 平成21 | 英友会新会長に高井英造さん選任 | この年より、英友会総会は、これまで2年に1度、11月3日に開催されていたものを、毎年開催で時期を適宜決定することにし、主たる運営を現役から英友会へ移行 | |
2011 | 平成23 | 『60周年記念誌』発刊 | 英友会発行 | |
2013 | 平成25 | 追悼会開催 | 天野一夫先生、内海滉先生、鈴木博先生および故人の会員を偲ぶ会を開催 |